日本での梅干しの広まり
では日本にはいつ頃伝わったのでしょうか。
梅の木は日本固有の木ではありません。
中国から8世紀半ば頃に伝来したと言われています。
丁度その頃の万葉集(759年)には多くの梅の歌が詠まれていますが、
まだ梅干しに関して残っている記述はありません。
しかし、平安中期の村上天皇(946~967年在位)が疫病に倒れた折に、
梅干しとお茶を飲んで病を治した、という言い伝えもあるように、
この頃には薬としての梅干しが存在したという事が分かります。
その後、鎌倉時代には僧侶を中心にお茶菓子として広まり、戦国時代には、
武士達は梅干しを携帯するようになったようです。
戦場では、「丸薬」といって、梅干の果肉と、玄米粉、粉末の粉砂糖を練った薬が、
疲れた体の調子や息切れを調えたり、汚い水を飲まざるを得ない時の殺菌用にと、
広く使われるようになりました。また、傷口の消毒や、出血の際の薬にも使ったようです。
現在のように一般庶民の食卓にあがるようになったのは、
江戸時代になってからと言われています。
元々薫製にして作られた中国の梅が、
日本に伝わって、いつ頃、どのように今の梅干しの製法になったかは詳しくは分かりません。
ただ、中国と違い、海に囲まれた日本では、塩を使って漬けるという製法になるのは、
ごくごく自然の事だったのかもしれません。